日米 における被爆情報戦略

一原爆開発段階か ら投下直後を中心 と して一

竹本 恵美

The Information Strategies of the U.S.andJapan:

From American Nuclear Weapons Development Initiatives

To Their Bombing to Japan

TAKEMOTO Emi

 

は じめ に

アイ ンシ ュタイ ンが米 大統領 に原子力研究 とウラ ン爆 弾 を提案 してか ら,

70年 が過 ぎた。 人類 は原 子力 を利 用 し,核 兵 器 と原子力発 電 とを開発 して き

た。 前者 は軍事 目的,後 者 は平和 目的の利用 と区別 して語 られ るが,そ の両

者 には経済 的利 益 とい う共通 の 目的が含 まれてい る。原 子力開発 の過程 は,

常 に重大 な人権 侵害 と健 康被害 に苦 しむ ヒバ クシ ャたちを伴 ってい る。軍事,

民事 に関 わ らず原子力 開発 においては,原 材料 を輸 出す る国,研 究や開発 を

行 う国,兵 器 を使用 された国,開 発 過程 で出た ゴ ミを処理 す る国,い ずれ に

おいて もヒバ クシ ャが生 まれ る。 広島 ・長崎以 外 に も,核 開発施設 や原子力

発電 所の あ る地 域,核 開発国 が核 実験 を行 った地 域,米 軍 が劣化 ウラ ン弾 を

戦争 で使用 した地域,そ して これ らの地域 で汚染 され た空 気や食 品な どを受

け入 れた地域 にお いて,多 種多様 な形で ヒバ ク した信 じがた いほ ど多 くの ヒ

バ クシ ャが存在 す る。 とりわ け ここ数年,乳 がん を始 め とす るがん患者 の増

加 が著 しい。 ヒバ ク シャた ちの病 は,ヒ バ ク後か ら今 日に至 るまで次 々と変

移 し,今 なおその メカニズ ムは完 全 には解 明 されず,決 定 的 な治療 法 は確立

されて いない。 ヒバ クシャた ちは病 に加 え,今 後 どのよ うな症状 が現れ るか

90

わか らない不安,死 への恐怖,子 孫への遺伝 の憂慮 を抱 えて いる。

被 爆か ら64年 が経過 した今 日に至 って も被爆者 が苦 しんで いるのは,な ぜ

か。 被爆者 を苦 しまなければ な らない状況 に追い込 んでい る ものは,何 か。

被爆 者が原爆被 爆 によ って,こ れほ ど苦 しんでい るに もかか わ らず,な ぜ世

界で新た な ヒバ クシ ャを作 らない仕組み が構 築 されず,ヒ バ ク シャが増え続

けて い るのか。 「同 じ苦 しみを味 わ う者 を増 や した くない」 とい う被 爆者 の

声 は,な ぜ世 界 に届 かな いの であろ うか。 その答 えは,原 子力 開発の利害 関

係 にあ る者 たちが創 り出す情報戦 略 と深 い関係 にある。情 報戦 略によ って,

被爆 被害 と被爆 者の存在 を隠す仕 組みが作 られて いるか らで ある。

原 子力開発 の利害 関係 にある者 た ちは,原 子力開発 の過 程で人体 実験や人

権侵 害 を犯 して ヒバ クシャ ・データを徹底 的 に収集 し,情 報 を国家機密 と し

て囲い込 み,不 都合 な情 報を徹底 して排除 し,メ デ ィアに よる報道 を規制 し

て,人 々に ヒバ クの危 険性や被害情 報を 隠 し,コ ス ト・ベ ネフ ィッ トの論理

で正 当 に見 え る論理 を創 り出 し,そ れを影響 力の ある人物 に語 らせ,繰 り返

し刷 り込 みを行 い,都 合 の良 い世論 を創 り出す ことによ って,人 々に ヒバ ク

によ る危険 や健 康被害 を受忍 させ,原 子力 開発 による経済 的利益 を享受 して

きた。米国政府 は収集 した ヒバ クシャ ・デー タを不適切 な方法 で分 析 し,低

コス トで原子力 開発 を行 え る防護 基準を創 り上げ,権 力 と財力 によ って国 際

放射 線防護委員 会や 国連 に公式基 準 と して採 用 させ,国 際的 に認 め られ た確

実 な安全基準 と して原子 力開発 の現 場で使用 して きた。情 報 と社会 的な権力

を握 る者 たちは,放 射線 が人体 に及ぼす影響 を都合良 く評価 し,そ れ を科学

として きた。

米国政府 と利 益 を共有 す る 日本政 府 は大規模 な原爆被害 調査 を行 い,情 報

を米国 に提供 して きた。 米国 が策 定 した被曝 防護基準 を公式 に採用 し,原 爆

症認 定制度 に組 み入 れた。加害者 が作 った非 科学的 な基準 を もって厚生労働

省 が被爆者 の苦 しみ を計 る時,そ の苦 しみが原爆 に起 因す る ものであ ると認

定 され るのは,被 爆者全 体の1%に も満 たない。 そのため,こ こ何 年 も原爆

認定 訴訟が起 こされ,被 爆が原 因で苦 しむ被 爆者 たちは救 済 されずに いる。

原 爆投下 は過 去 に例 を見な い大量 破壊,大 量 殺鐵,不 治 の病 を もた らし,

人類 史上 におけ る重大 な問題 と して世界規模 で注 目され扱われ るべ き問題 で

日米における被爆情報戦略91

あ った。 しか しなが ら日本政府 は,原 爆被害 や被爆者被害 を軽 く小 さ く見 せ

よ うと,原 爆被 害 を隠す方針 を取 り,放 射線 障害 はない と して きた。 ほとん

どの被爆者 たちが その死 や障害 を,放 射線 のせい ではない とされて きた。 が

んやPTSDな どの後 障害へ の評 価 もゆが め られて きた。 日本軍 による原爆被

害調 査で は,放 射線被 曝の危険性 が現 実 よ りも低 く評価 され た。原 爆被害 の

隠蔽 や過小評価 に,日 本 の代表 的な研究者 は同意 を与 えて きた。研 究者 たち

は戦 時 中の科学 動員体制 を支 えた人 々で あ り,原 爆 開発に従事 した り,戦 後

の原 子力産業 に関係 した り していたため であ る。 日本政府 の方針 は米国 に利

用 され,米 国政府 やGHQは 原 爆症 や苦 しむ被爆 者 の存在 を否定 した。 日本

政府 はGHQに よる 占領終 了後 も,被 爆 者切 り捨 て の無 為無策 の政治 を続 け,

被爆 者の身体 的,精 神 的苦 しみや生 活苦 を増 長 し,多 くの被爆者 を死 に追 い

や った。1955年 には,原 子兵器使 用規制 の問題 に関 し,原 爆投下 は国際法違

反 の問題 にな らないと主張 した。 こうして,ヒ ロ シマ,ナ ガサキ,ヒ バ クシャ

は,日 本 の限定 され た地 域の 問題 と して駿小 化 され て しま った。

本論文 において は,米 国の原子 力情報戦略 の基本パ ター ンを明 らか にす る

とともに,日 本政府 が被 爆情報 を利用 し,米 国の戦略 に協 力 してゆ く過程 を

追 ってみ たい。 それ が現 在の ヒバ クの被害 と加害 をめ ぐる数 々の問題 を考察

す る上で の出発 点 にな ると考 えるか らで ある。 紙幅 の都 合 によ り,米 国 の原

爆 開発段階 か ら日本 の被 爆直後 の時期 に焦点 を当て る。 な お,原 爆 の炸裂 に

よ る直接 的 な被 害や被 害者 を指す 際 には 「被爆」・「被 爆者」,放 射線 によ る

被 害や被害 者 を指す 際 には 「被曝」・「被 曝者」,両 者 を指す場合 には 「ヒバ

ク」・「ヒバ クシ ャ」 の用 語を用 い る。

1軍 事 ・経済 利益優先 の被曝防護 基準

1895年 に レ ン トゲ ン(WilhelmConradRontgen)がX線 を発 見 して以

降,放 射線作業 従事者 の間で,が ん,無 精子 症,胎 児 の出生異常 な どの放射

線 障害 や死亡 が増加 し,1922年 まで に世 界 で100名 の放射 線科 医師 が放射線

の過剰被 曝 のた め死 亡 した と推 定 され てい る%第 一次 大戦 中のX線 や ラ ジ

ウムの利用増加 に伴 い,被 曝者 の間で火傷 やがん な どの放射線 障害 や死亡 が

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驚異 的 に増加 した。米 国 にお いて も被曝 問題 は深刻 であ った。夜光 塗料 を文

字盤 に塗 った時計が,第 一次大戦 を戦 った兵士 た ちの間で広 く普及 した。24

年 頃か ら塗料 を塗 った女 性労働者 の間で再生 不良性貧血,白 血病,骨 肉腫 な

どで命 を失 う者 が相次 ぎ,夜 光塗 料 に含 まれ るラジウム とメソ トリウムが原

因であると判 明 して訴訟が起 こり,大 きな社会 問題 となった。22年 に米 国エ ッ

クス線学会 が防護勧 告を発表 し,28年 に 「ア メ リカX線 および ラ ジウム防護

諮 問委 員会」 が設立 され た2)。同委 員会 は35年,正 常 な健 康状 態 にあ る人 が

耐 え う る被 曝線量 と して,1日 あた りo.iレ ン トゲ ン(年 に25レ ン トゲ ン)

の耐容線量値 を放射線被 曝の 防護 基準 と して策定 した。 その後,遺 伝学者 が

放射 線被曝 によ り遺伝 的影響 が発生 す るこ と,そ の発生率 は被 曝線 量 に比例

す ることな どを理 由に委 員会 の基 準を強 く批 判 したこ とに よ り,40年 に委員

会 は防護基準 を10分 の1に 引 き下 げ る決定 を行 った。

1930年 代,原 子物理学 の急速 な発展 に伴 い,放 射線利 用 は学術 的研究か ら

医学的分野 へ急速 に広 が り,放 射線 を利用 した新 しい産 業が続 々 と誕生 した。

それ に目をつけた ロ ックフェラー財団や デ ュポ ンな どの科学財 団は,米 バ ー

ク レー放射線研 究所 の大 型サ イ クロ トロ ンの建設 に資 金提 供す るな ど,巨 大

な資本 を必要 とす る放射 線分野 に進 出 し始 めた。38年 の ウラ ン核分 裂の発 見

を機 に,カ ーネギ ー ・メ ロ ンやモルガ ン財 閥 も原子力分 野 に手 を伸 ば し始 め,

それ ら金融 独 占体 の下 にあ るユニオ ンカーバ イ ド&カ ーボ ン,モ ンサ ン トな

どの科学 独 占体,GE,ウ ェステ ィ ングハ ウス な どの電機 独 占体 も,新 た に

原子 力産業分野 へ と乗 り出 した3)0

放 射線利用産 業や原子 力産業 の利益が重視 され,ま た戦 時体制 へ と移行 し

ていた41年,委 員会 の被 曝線量 引き下 げは撤 回 され 旧来 の高 い基準 に押 し戻

された㌔ マ ンハ ッタ ン計画下 に おいて も旧基準 が適用 され,こ の基 準の安

全性 は確保 されて いる と言わ れ続 けた。 しか しなが ら,多 くの作 業員が放射

線被 曝 によ り命 を失 った。

原 爆投下後,米 国政府 は日本 の被爆者 の医学情報 を徹底 して収集 し,放 射

線被 害 につ いて熟知 しなが ら,戦 後 に原爆増 産,水 爆 開発,中 性子 爆弾開発,

原 子力発電所建 設な ど原 子力 開発 を急速 に推進 した。 それ とと もに被曝防護

基準の策定過程に リス ク受忍論,リ スクーベネフィッ ト論,コ ス トーベネフィッ

日米における被爆情報戦略93

ト論 な どを持 ち込み,被 曝量 の制 限を緩 めてい った。

2軍 事 目的の被曝 データ収集

1931年,米 国で初 の放 射線被曝 の人体実験 が行 われ た。31~33年 に イ リノ

イ州 エル ジ ン病 院で精神 障害者 に対 しラ ジウムが注射 され,そ の後 も実験 は

アル ゴ ンヌ国立 研究所 に引 き継 がれた。41年,米 軍 は来 る開戦 に備 え,放 射

線 の許容線量 に関す るデー タを必 要 と していた。 冶金学研 究所 の保 険部門 は

「正常 な血 液 を もつ個 人 にX線 の全身 照射 を行 い,そ の効 果を 見 る実験 が不

可欠 」 と して,42年 よ り人体実験 を開始 した。 実験 では20~75歳 までの計45

人 が実験 台 とな った5)。マ ンハ ッタ ン計画下 において も,放 射 線被 曝の人体

実験 や放射能兵 器の研究 が行 われた。 計画下 の医学部 門お よび生物 学部門 の

重要 な任務 は,労 働者 の被曝例 と動物実験 を通 して放射線 急性 障害 の初期症

状 を決定 し,そ の検 出法 と治療法 を追求す る ことにあ った。 それはま た原爆

の実戦 への使用 に備 え るための もので あ った6)。44年,原 爆投 下 を前 にそ の

放射 能の影響度 を調査 す る目的で人体実験 が計画 され た。 ロスア ラモ ス国立

研 究所で45年2月 に作業 員の排泄 物を測定 した ところ,高 濃度 のプル トニ ウ

ムが検 出 され た。現場 で は多 くの作 業員 が,が んで死亡 してい った%45年

4月 に実験 が開始 し,4歳 か ら50歳 台 までの老 若男女18人 が実験台 と して プ

ル トニ ウム溶 液を注射 された。被験者 に 目的や詳細 は伝 え られ ず,7人 が注

射 を受 けたその年 に,3人 が1~3年 以 内に,全 員 が現 時点で死亡 して い る。

実験 は米 国政府 の超極 秘計画 と して47年 まで 国内の4病 院 で続 け られた8)。

95年8月 に米 エネル ギー省 は,30~70年 代 の40年 間以上 にわ た って米国政府

関係 研究機 関が行 って きた人 体実験 数 は計435件,対 象者 約1万6,000人 との

報 告書 を発 表 した9)0米 エ ネルギ ー省(旧 原子力委 員会)は ヒバ ク シャか ら

収集 した臓器 な どの遺 品の保存 を ワシ ン トン州 立大学 に委 託 してお り,そ の

数 は2万 人分 に上 る。 それ らの臓 器は遺族 の了解 な く摘 出 され た場 合が大半

で あ り,遺 族 が賠償 訴訟 を起 こす 度 に臓器 が処 分 され証 拠 が隠滅 されて き

た10)0

オ ッペ ンハ イ マ ー(J.RobertOppenheimer)と フ ェル ミ(Enrico

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Fermi)は 計 画 開 始 時 よ り,放 射 線 に よ る 内 部 被 曝 を 避 け るた め原 爆 製 造 現

場 で の 作 業 後 に 必 ず キ レー シ ョ ン とい う体 内 の 重 金 属 を排 出 さ せ る点 滴 を受

け て い た")。 グ ロー ブ ズ(LeslieRichardGroves)は43年5月,放 射 性 物

質 の 毒 と して の 軍 事 利 用 の 可 能 性 と,敵 が そ れ を 利 用 した 時 に実 施 す る防 護

策 に つ い て検 討 す る た め,放 射 能 毒 性 小 委 員 会 の 発 足 を 要 請 した。 委 員 会 は

コ ナ ン ト(JamesBryantConant)と コ ン プ ト ン(ArthurHolly

Compton)を メ ンバ ー と して 発 足 し,43年6月 に 報 告 書 を作 成 し,ご く少

量 の 放 射 性 物 質 が 人 体 に 深 刻 な影 響 を 及 ぼす こ と を報 告 した 。 さ らに 同委 員

会 は 放 射 能 兵 器 の 特 性 と して,「 簡 単 に は検 出 さ れ ず,ゆ っ く り と効 果 を 現

す」,「 き わ め て 分 解 され に く く,何 ヵ月 も地 域 を 汚 染 し う る」,「汚 染 除 去 は

人 々の 犠 牲 に よ って の み 行 わ れ る」 こ と を 指 摘 して い る12〕 。 そ の後,人 体 実

験 に よ っ て得 た 具 体 的 な デ ー タ に よ り,44年5月 頃 に は放 射 線 被 曝 に よ る後

障害 が 確 認 され た13)。

オ ッペ ンハ イ マ ー,フ ェル ミ,グ ロー ブ ズ,コ ナ ン ト,コ ンプ トンの 全 員

が マ ンハ ッタ ン計 画 の政 策 決 定 に 関 与 す る指 導 者 で あ る と と もに,人 体 実 験

に 関 与 し放 射 線 被 害 を熟 知 して い た。 ウ ラ ンを 採 掘 した 鉱 山労 働 者,原 爆 を

製 造 した労 働 者,原 爆 投 下 や 被 爆 地 調 査 を行 った 軍 人 た ち,人 体 実 験 の 被 験

者 た ち は,放 射 線 被 曝 の 危 険 性 を 知 ら さ れ な か っ た。 指導 者 た ち が そ の 危 険

性 を 知 らな い弱 者 の 生 命 を 利 用 し,原 爆 開発 と被 曝 デ ー タ の 収 集 を 行 っ た。

米 国 政 府 は放 射 線 被 曝 に よ る 障害 を 認 識 しつ つ も,軍 事 目的 の た め に 自国 民

の人 権 と命 を犯 し,徹 底 して 被 曝 デ ー タ を収 集 して き た。 収 集 デ ー タ を新 兵

器 開 発 に利 用 し,重 要 国 家 機 密 と して い る。

3米 国の原爆公式発表

44年9月,マ ンハ ッタ ン計画 内部 で は戦後 にお ける原 子力 の管理 と民間利

用 への推進 体制 や,原 爆 に関す る発 表 の準備 な どが検討 されて いた14)。原爆

開発は膨大 な資金 と人 員を投入 した史上最大 の プロ ジェク トで あ り,国 家最

高機 密 と して進 め られて きた ため,原 爆投下 後 に米 国議 会や国民 に説明す る

必要 が あ った。 当初米 国が原爆 開発 に乗 り出す動機 とな った ドイツの脅威 は

日米における被爆情報戦略95

ドイ ツの 敗 戦 と ドイ ツ原 爆 の 未 完 成 が 明 らか にな る に つ れ て 消 失 し,原 爆 開

発 の 継 続 と使 用 の 大 義 は 失 わ れつ つ あ っ た。 しか しな が ら マ ンハ ッ タ ン計 画

の 予 算 は,主 に モ ル ガ ン,ロ ッ ク フ ェ ラ ー,メ ロ ン財 閥 に よ る 出 資 で まか な

わ れ,マ ンハ ッ タ ン計 画 で 利 益 を 得 て 戦 後 も放 射 線 や原 子 力 の商 業 利 用 を続

け た い財 閥 や 多 国籍 企 業 か らの 圧 力 が あ った1S)。原 爆 を 完 成 させ て 使 用 す る

こ と 自体 が 目的 化 し,ま た 原 爆 を 完 成 して華 々 しい成 果 を 飾 り原 爆 を 自国 民

に受 け入 れ て も らう必 要 が あ り,原 爆 を 使 用 せ ず に 開 発 を 中止 す る こ と は で

き な い 状 況 で あ った 。

45年5月,戦 時 ・戦 後 にお け る 原 子 力 の管 理,規 制,法 制,お よ び 原 爆 使

用 後 に 発 表 す る 声 明 に つ い て 検 討 し勧 告 す る た め の 暫 定 委 員 会 が 設 置 さ れ

た16)0暫 定 委 員 会 は 原 爆 投 下 が 成 功 した 場 合 に,大 統 領 が ホ ワ イ トハ ウ ス か

ら声 明 を 出 し,1時 間後 に陸 軍 長 官 が よ り包 括 的 な声 明 を 出 し,そ の 後 た だ

ち に チ ャ ー チ ル(SirWinstonLeonardSpencer-Churchill)英 首 相 が ロ

ン ドンで,カ ナ ダ のC・D・ ハ ウ 軍 需 ・補 給 大 臣 が オ タ ワで 声 明 を 出 し,48

時 間 後 に科 学 的 解 説 文 書 を 発 表 す る こ と を計 画 した。 加 え て,声 明 発 表 後 た

だ ち に米 国 内 で計 画 に関 係 した 個 人,研 究施 設,企 業 に連 絡 を 取 り,技 術 上 ・

科 学 上 のす べ て の事 実 を機 密 保 護 とす る こ と を予 定 した'了)。米 国 政 府 は原 爆

の発 表 につ い て 綿 密 に計 画 し,原 爆 情 報 の機 密 保 持 に力 を 入 れ た。

グ ロ ー ブ ズ は,「 ニ ュー ヨ ー ク ・タ イ ム ズ 」 紙 の 科 学 担 当 で ピ ュ ー リ ッツ

ア ー 賞 受 賞 者 の ロー レ ンス(WilliamLeonardLaurence)記 者 に,大 統 領

声 明 の 原 稿 起 草 を 特 別 任 務 と して 委 託 した 。W・L・ ロー レ ン ス は2ヵ 月 か

け て 入 念 に原 稿 を 書 き上 げ た 。 そ れ は 広 島 に 原 爆 が 投 下 され た翌 日,米 ワ シ

ン トンD.C.の ホ ワ イ トハ ウ ス よ り トル ー マ ン大 統 領 の 名 で 「原 子 爆 弾 に 関

す る声 明 」 と して 発 表 され た 。 声 明 は 最 初 に 英 語 で,次 に 日本 語 で 約30分 間

に わ た って 行 わ れ た'8)0ま ず 原 爆 の威 力 を 強 調 し,次 に米 国 が 日本 へ の 報 復

に成 功 し ドイ ツ との 原 爆 開 発 競 争 に 勝 利 した こ と,開 発 は チ ャー チ ル 英 首 相

との 合 意 の も と に行 わ れ た こ と,原 爆 は12万5千 人 の人 員,2年 半 の 歳 月,

20億 ドル の 資金 を 費 や し,科 学 と産 業 を 結 集 して 完 成 した こ と を発 表 した。

日本 が な お 降伏 を 受 け入 れ な い な らば,そ の戦 争 遂 行 能 力 を完 全 に 破 壊 す る

と宣 言 した。 さ らに米 国 議 会 に対 し,原 子 力 の 生 産 と使 用 を管 理 す る委 員 会

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の設 置 を提案 した。声 明 は米 国民 ヘパー ルハ ーバ ーへ の報 復 と勝利 を宣言 し,

日本 へ二発 目の原爆 で威 嚇 して降 伏を促 し,世 界へ米 国の力 を誇示 す る もの

であ った。続 いて 出 された陸軍長 官声明 は,原 爆開発計 画 につ いて詳述 した

上 で,原 爆保有 は戦争 の早期終結 に大 いに貢献 す るであ ろうと強調 した。

トル ーマ ンは8月8日,「 ポツ ダム会談 につ いての報告」 を放送 し,原 爆

投下 につ いて以 下の よ うに語 った。

われ われは,敵 が原 子爆弾 を造 ろう としてい るこ とを知 りま した。… …

も し彼 らのほ うが それを先 に手 に入れ ていた場合,わ が国民 に,す べて の

平 和愛好諸 国民 に,そ してすべ ての文 明におそ らく降 りかか る惨 害 を予知

して いま した。 そのよ うな わけで,わ れわれは,発 見 と生産 をめ ざ して長

期 にわ た る,不 確実 で,費 用 のか さむ作業 に着手せ ざるをえ ない と考え た

ので あ ります。… …われわ れは,予 告 な しにパ ールハーバ ーでわれわれ を

攻 撃 した者 た ちに対 し,ま た,米 国人捕虜 を餓死 させ,殴 打 し,処 刑 した

者 た ちや,戦 争 に関す る国際法 規 に従 うふ りをす る態度 す らもかな ぐり捨

てた者 たちに対 して原 爆を使用 したの であ ります。 われわれ は,戦 争 の苦

悶を早 く終 わ らせ るため に,何 千 何万 もの米国青年 の生 命 を救 うた めにそ

れを使用 したので あ ります19)0

米国の新 聞や ラジオは原爆投下 のニ ュースを大 き く取 り上 げ,大 統領声 明

や陸軍省 の発 表 に基 づき原爆投下 を支持す る論 説 を掲載 した。米 国民の多 く

は,原 爆投下 に よって戦 争が早 く終結す る と期待 し,原 爆 投下 を受 け入れ た。

トル ーマ ンの 「何千何 万」 との推 定死傷者 数は,後 に 『ハ ーパ ーズ ・マガ

ジン」誌1947年2月 号 に掲載 されたステ ィム ソン論文 によ って,「 米軍 の100

万 人以上 の死傷 者,同 盟 軍 の大 きな犠牲,日 本側 の米軍 を上 回 る死 傷者」2U)

と膨 れ上が り,そ の数 に は正 当な根拠が ないため 「原爆神 話」 と呼ばれて い

る21)。原爆 開発 は ドイ ツの脅 威 によ って 開始 し,原 爆 投下 は早 期終戦 と人命

救助 を 目的 として行 った という見 解は 「公式 の歴史」 とな り,今 日に至 るま

で原 爆投下 の正 当化 の論 拠 にされてい る。

日米における被爆情報戦略97

4世 論か らの原爆投下 批判

他 方,原 爆 投 下 に疑 問 を 呈 し,抗 議 の 声 を 発 した人 々 も少 な か らず い た。

い ち 早 く行 動 を 起 こ した の は宗 教 界 で あ った。8月7日 付 「ク リス チ ャ ン ・

サ イ エ ンス ・モ ニ タ ー」 紙 は,原 爆 の 非 人 道 的 特 質 を 指摘 した社 説 と,原 子

力 に よ る平 和 の 不 確 実 性 を 懸 念 した 論 説 を掲 載p?),『 カ ト リ ック ・ワ ー ル ド」

誌 編 集 長 は,「 米 国 は キ リス ト教 文 明 と そ の 道 義 に か つ て な い打 撃 を与 え,

原 爆 投 下 は 犯 罪 で あ る」 と非 難 し劉,8月29日 付 『ク リス チ ャ ン ・セ ン チ ュ

リー 」 紙 は 「ア メ リカ原 子 力 の残 虐 性 」 と題 した 社 説 と,読 者 か らの 原 爆 投

下 非 難 の投 書3本 を掲 載 した24)。9日,全 米 キ リス ト協 会 協 議 会 議 長 は トル ー

マ ン大 統 領 に直 訴 し,原 爆 投 下 の 非 人 道 性 を 批 判 し,爆 撃 作 戦 の一 時 停 止 を

求 め た 。20日,国 内 の有 力 な 宗 教 家 や 教 育 者 の34名 が トル ー マ ン大 統 領 に,

原 爆 製 造 の禁 止 と戦 争 撲 滅 の 指 令 を 発 す る よ う要 請 した。

同 盟 通 信 ニ ュー ス や 日本 の ラ ジオ 放 送 に よ って,日 本政 府 が 原 爆 投 下 を非

難 して い る こ とや,広 島 の 惨 状 が 米 国 に伝 わ る につ れ,米 国 民 の 間 に 原 爆 投

下 を非 難 す る声 が 強 ま って い った。13日 付 「サ ンフ ラ ン シス コ ・ク ロニ クル 」

紙 は 「原 子 爆 弾 へ の 抗 議 」 と の見 出 しで,原 爆 投 下 を非 難 す る4本 の 投 書 を

掲 載25),17日 付 『USAニ ュー ズ』 誌 は,原 爆 投 下 は誇 るべ き こ とで は な く恥

ず べ き こ と だ との 編 集 長 の 論 説 を 掲 載,23日 付 「シ カ ゴ ・ トリ ビ ュー ン』 紙

は 「原 子 力 の犯 罪 性 」 と題 した社 説 を 掲 載 した26)0

人 道 的 観 点 に 加 え,軍 事 的 観 点 か ら原 爆 投 下 は 必 要 な か っ た との 主 張 もな

さ れ た 。 人 道 的 観 点 よ り疑 問 を呈 した の は宗 教者,教 育 者,一 般 国 民 で あ り,

原 爆 不 要 論 は海 空 軍 首 脳 部 か ら出 され た 。9月22日,第 ニ ー 空 軍 爆 撃 部 隊 司

令 官 のC・E・ ル メイ 将 軍 が 『ニ ュー ヨー ク ・ヘ ラ ル ド ・ ト リ ビ ュ ー ン」 紙

で,「 原 爆 投 下 が な くて も戦 争 は2週 間 で 終 わ った だ ろ う」 と語 っ た。 同 日,

海 軍 の 太 平 洋 艦 隊 司 令 長 官 のC・W・ ニ ミ ッツ 提 督 が 記 者 会 見 し,「 日本 は

原 爆 投 下 の前 に敗 れ て い た 」 と発言 した 。 第三 艦 隊 司 令 官 のW・B・ ハ ズ レー

提 督 は,「 原 爆 投 下 は 誤 りで原 爆 は不 必 要 だ っ た」 と発 言 した27)。

世 界 で も原 爆 投 下 へ の 非 難 は広 が って い た。 バ チ カ ン法 皇 庁 は8月7日,

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「日本 に お け る原 子 爆 弾 に 対 して 遺 憾 の 意 を 禁 じ得 な い」 と公 式 表 明 し,バ

チ カ ン市 ニ ュー ス広 報 は,新 兵 器 が 人 類 の将 来 に投 げ か け る暗 欝 な 影 を指 摘

した28)0ロ ー マ法 王 庁 機 関紙 『オ セ ル ヴ ァー レ ・ロマ ー ノ」 紙 は,米 軍 の 新

型 爆 弾 使 用 を 「破 滅 的手 段 」 と批 判 した 。 英 上 院 の カ ン タベ リー寺 院 フ ィ ッ

シ ャー 大 僧 正 は16日,「 原 子 爆 弾 で い っ き ょ に非 常 に多 数 の 民 衆 が 死 傷 した

とい う事 実 に よ って 人 間 の 良 心 が烙 印 を つ け られ た と考 え な い もの は あ る ま

い 。 人 間 の 良 心 が この 痛 手 か らた や す く回 復 す る とは 思 わ れ な い」 と語 っ

たss)。 ロ ン ドン の聖 ア ル バ ン ス教 会 の 牧 師 は,原 爆 の 使 用 に抗 議 して 同 教 会

の戦 勝 感 謝 祈 祷 会 を禁 止 し,19日 に 群 衆 に原 爆 の 非 人 道 性 を説 い た 。13日 付

の 中 国 「解 放 日報 」 紙 は,原 爆 を世 界 平 和 の 維 持 に利 用 で き る とす る立 場 を

批 判 した3。)。これ らの 批 判 は,広 島 ・長 崎 の 具 体 的 な 惨 状 を知 っ た 上 で 為 さ

れ た もの で は な く,自 らの 倫 理 観 や 政 治 的立 場 か ら為 され た もの で あ る。

連 合 記 者 と して 初 め て 広 島 を 取 材 した バ ー チ ェ ッ ト(WilfredBurchett)

記 者 の 記 事 は,9月5日 付 『デ イ リー ・エ ク ス プ レス』 紙 一 面 に掲 載 され,

世 界 を 驚 愕 させ た 。 「原 爆 の疫 病 」 と題 した 記 事 は,「 最 初 の 原 子 爆 弾 が 街 を

破 壊 し,ま た 世 界 を 震 骸 して,三 十 日後 の 広 島 で は,人 が な お も死 ん で ゆ く」

と始 め られ,「 ノ ー ・モ ア ・ヒ ロ シ マ 」 で 締 め く く られ たa//Oバ ー チ ェ ッ ト

に2時 間遅 れ で 広 島 入 り した ロ ー レ ン ス(WilliamH.Laurence)は,「 広

島 は 世 界 で 最 大 の 被 害 を 受 け た 市 で あ る 」,「人 々 は1日 に100人 の 割 合 で 死

ん で い る」,「我 々 は見 る に忍 び な い 」 と の言 葉 か ら始 ま る レポ ー トを 作 成 し,

そ れ は5日 付 『ニ ュー ヨ ー ク ・タ イ ム ズ 』 紙 に 掲 載 さ れ た 。W・H・ ロ ー レ

ンス の 記 事 は,米 国 内 で 原 爆 投 下 を 非 難 す る世 論 を喚 起 し,米 国政 府 に大 き

な衝 撃 を与 え た 。11日 付 の 『朝 日新 聞 』 に掲 載 され た記 事 に お い て 米 兵 は, こ うこ う 「原 子 爆 弾 は 米 本 国 で も麗 鴛 た る非 難 の 声 だ。 ま だ 残 って ゐ た らみ な 太 平 洋

の真 ん 中へ 捨 てて こ い と い って ゐ る。 発 明者 の罪 は死 に値 す る と思 ふ」 と語 っ

て い る。

ピ ュ ー リ ッ ツ ァ ー 賞 を 受 賞 し戦 争 特 派 員 で も あ っ た ハ ー シ ー(John

Hersey)は,46年4月3週 間 に わ た って 広 島 ・長 崎 を 取 材 し,そ の ル ポ ル

タ ー ジ ュ は 「Hiroshima」 との 題 で 「ニ ュ ー ヨー カ ー」 誌 に68ペ ー ジ に わ た

る特 集 と して掲 載 さ れ た3?)。本 誌 は す ぐに売 り切 れ て増 刷 され,ABC放 送 は

日米における被爆情報戦略99

3日 間にわた って これを朗読 し,ル ポは単行本as)として出版 されベ ス トセラー

とな った。

ハー シーの 『Hiroshima』 や軍首脳 部の発言 な どの影響 を受 け,ジ ャーナ

リス ト,宗 教者,知 識層 による米 国政府批判 が浸透 しつつ あ った。 当時 の米

国には断片 的にで はあ るが原爆 が与 えた傷害 が伝 え られ,原 爆 の非 人道性 や

犯罪 性 を訴 え る米国民 が多 くいた。 特 に有識者 の被爆被 害へ の関心 は高か っ

た。 しか しなが ら批判 的な意見 は,米 国政府 の情報戦 略に よ り排 除 されて い

く。

5米 国 による被爆被害 の否定 と報 道規制

米 国政府 に とって,原 爆を 国際外交の手段 と して利用 す る上 で,原 爆 の物

理 的威力 を大 い に宣伝す る必要 があ った が,原 爆 の残虐性 は報道 されて はな

らない ことであ った。5日 の ロー レンスの新 聞記事 を 目に した米 国政府 はす

ぐに,訪 日中の フ ァー レル(ThomasFarre11)准 将 らに対 し,原 爆被 害 を

否定 す る記者会 見の 開催 を命 じた。 フ ァー レルは マ ンハ ッタ ン計画 の副責任

者 と して原爆 の効果 と残 留放射能 の有無 を確認 す るため,調 査 団30人 を率 い

て来 日 して いた。7日,フ ァー レル らは東京 の帝国 ホテルで記者会 見 を開 き,

集 まった連合 国の海外 特派員 た ちに 向か って,「 原 爆放射 能 の後障害 は あ り

えない。広 島,長 崎 では,死 ぬべ き もの は死 んで いまい,9月 上 旬現在 にお

いて,原 爆放射 能の ため に苦 しんでい る ものは皆無」 との公式声 明を発表 し

だ%記 者会 見 にはバー チ ェ ッ トも参 加 してお り声 明 に抗議 したが,フ ァー

レルは 「貴方 が見た のは爆発 によ る傷 害 で死亡 した人 で,日 本 の医者が適切

な治療法 を知 らな いか らだ」 との説 明 を繰 り返 し,「 日本 側 の宣伝 に乗せ ら

れて いるのはな いか」 と言 って会見 を打 ち切 った35)。この時,広 島 と長崎 で

は毎 日100人 を超す 被爆者 が苦 しみ悶 えな が ら死 んで いき,数 万 の被 爆者 が

救護 所で原爆症 に苦 しんで いた。 ファー レルは原爆投下前 よ り放射 線障害 に

ついて認知 し,広 島での被爆 の惨状 を撮影 した写真 や救援 要請 も受 け取 り,

原爆 が人 々に与 えた傷害 を認識 していた。知 って いるがゆえ の政治 的な判 断

による被害否定で あった。 ファー レル声 明は後の プ レス ・コー ドの基礎 とな っ

100

た。 原 爆 に関す る情 報規 制 の方 針 は,GHQで は な く米本 国か らの指示 で定

め られた。 ファー レル らは9日,広 島入 りし惨 状 を直接確 か め医療 救援 を約

束 した3ti)Oしか し実 行 され ることはなか った。 救援 を必要 とす る被 爆者の存

在 が,社 会 的に明 らかにな るのを避 けた か らであ る と考 え られ る。 先 に行 っ

た 「苦 しん でい る ものは皆無」 とい う声 明を訂正す る こともなか った。

GHQは9日,広 島 と長 崎 を立 ち入 り禁止 区域 に指定 し,外 国人記者 によ

る取 材 を禁止 し,被 爆 の実情 が海 外 に報道 され るのを避 けた。 バーチ ェ ッ ト

は 日本か ら追放 され た。 報道 関係者 は 日本 の報 道機関 が渡 す翻訳 に基づ いて

報道 しな ければな らな くな り,海 外向 けのニ ュー スは 占領 軍 によ って管理 さ

れた上 で,日 本 の同盟通信 社が発信 した3i)。被爆者 の存在 は隠 され,被 爆者

に国際 的救援 の道 は閉 ざされ た。 さらにGHQは19日 にプ レス ・コー ドを発

令,CCDは21日 に 日本 出版 法 を,22日 に 日本 放送 法 を発令 した。 被爆 者援

護 や研究 に も規制がか けられた。赤十字 国際委員会 に対 し支援を要請 した ジュ

ノー(MarcelJunod)博 士 の電 報 は,GHQに 打 電 を阻止 された。 海 外通

信 は特 に厳重 に検閲 され,外 国か らの被爆者救 援活動 は阻止 された。

占領軍 によ る原爆症救 護病 院 と国立広 島病 院の 引き渡 し要求 によ って病 院

は閉鎖 され,過 去の調査 結果,研 究資料,剖 検 資料 が没収 され た。 それ らの

資料 は米 国へ運 ばれ,被 爆者 医療 に役立 て られ るこ とな く,「Secret」 の 印

が押 されAFIP(米 陸軍 病理学 研究所)で 保管 された。 臨床例 の報告 の蓄積

は,効 果的 な治 療方法 を解明す る上 で不可欠 であ った。 こう して原 爆症 の究

明 と治療 は後 れた。 その治療方法 は,現 在 において も確立 して いない。

米国 で も原爆 被害報 道の封 じ込 め措置 が取 られた。 「ニ ュー ヨー ク ・タイ

ムズ」 は報道方 針 を転換 し,公 式 筋を代弁す る記事 しか掲 載 しな くな った。

9日 付 のW・H・ ロー レンスの記事 は 「生 存者 に影響 はない」 との見出 しで,

先 の5日 付 の 自身の記事 を否定 した。12日 付 の同紙 には グローブズの談話 が

掲載 された。 「死 んだ人 も多 いが,多 くの命 が救 われ た。 特 に原爆 で戦 争 が

早 く終わ った」,「日本 人の現在 の言 動を仔細 にみ る と,彼 らは我 々が不正 な

や り方で戦争 に勝 ったかの ような印象を作 り出す こ とを狙 った宣伝 を続 け,

同情 を引 き優 しい言葉 を得 よう として いる」 な どの内容 で あった。21日 付 で

ワ シン トンか らマ ッカー サー宛 に出 され た公 文書 は,5日 付 のW・H・ ロー

日米における被爆情報戦略101

レ ンス に よる広 島 レポー トは 「不 正 確 な論調 」,日 本側 の 原爆 被害 報 道 は

「逆宣伝」 であ ると し,そ れ らと対抗す る ことを指示 した38)。米 国政 府 はW・

H・ ロー レンスの広 島 レポー トを徹底 して排除 しよ うと した。

6日,『 シカ ゴ ・デ イ リー ・ニ ューズ』 紙 の ウ ェラー(GeorgeWeller)

記者 は,占 領軍 の 目をか い くぐって長崎入 り し,3日 間の取材 を行 い,2万

5千 字 にわ た るルポル ター ジュを書 き上 げた。 ウ ェラーはGHQの プ レス本

社 に原稿 を送 ったが,検 閲 によ り記事 はその まま戻 らず,公 表 され ることは

なか った39)。14日,ト ル ーマ ン大統 領 は米報 道関係 者 に対 し,「 最高度 の 国

家安 全保障上 の利益 にお いて,編 集者 や放送者 は陸軍省 に最初 に相 談す る こ

とな しに,情 報 の発表 を保留す るよ う要請 され る」 と,原 爆報道 の 自制 を促

した4%

米 国政府 は原 爆障害 を徹底 的に否定 し,原 爆被害報道 を禁 じ,フ ァー レル

声 明 とグローブ ズ発言 を徹底 して繰 り返 し宣 伝 した。 その結果,米 国 内で原

爆投下 を非難す る声 は次第 に減 り,現 在 においては,原 爆投下を 「早期終戦 ・

人命 救済」 を もた らした と して肯 定 し,核 兵 器の保有 も肯 定す る考 え方が主

流 とな って い る。94年,米 国立 ス ミソニ ア ン博 物館 は終戦50周 年記 念 と して,

原爆 投下 を歴史 的 に再考 す る展示 を企画 したが,原 爆神話 に疑 問を投 げか け

る視 点や被爆 資料が含 まれて いたため,米 国各界か ら非難 の集 中砲 火 を浴 び,

最 終的 に企画 は 中止 とな り館長 は解任 された。 このこ とは米国政府 の情報戦

略が思 い通 りの結果 を生 み,今 なお続 け られてい るこ とを示 してい る。

6日 本政府の被爆情報政策

8月6日,広 島が原爆 攻撃 を受 けた直後 か ら,日 本軍 は現地 での被害調査

と救 護活動 を開始 した。 大本営 は7日 朝 に原 子爆弾対策委 員会 を開催 し,緊

急 に調査 団を発足 し現地 調査 を行 うことを決定 した。 また情報局部 長会議 を

開き,以 下 の報 道方針 を定め,被 爆を利用 した宣伝作戦 を開始す ることを決

定 した。 一 .対 外 的 には,か か る非人 道的武器 の使用 につ いて徹底 的宣 伝 を開始

し,世 界の輿論 に訴 える。

102

二.対 内 的 に は,原 子 爆 弾 な る こ と を発 表 して,戦 争 遂 行 に 関 し,国 民

に新 た な る覚 悟 を 要 請 す る4'〕 。

大 本 営 は 同 日15時30分,以 下 の プ レス ・リ リー ス 出 した 。

昨八月 六 日広 島市 は敵B29少 数機 の攻撃 によ り相 当の被害 を生 じた

二.敵 は右 攻撃 に新 型爆弾 を使用せ る ものの如 き も,詳 細 目下 調査 中な

り42)

大 本営 は国内的 には原 爆被害 を隠す方針 を決定 し,国 民 に対 して過少 な報

道 しか行 わなか った。 国民の士気 に影響す る ことを懸念 し,被 害 に関す る詳

細発 表 を控 え,原 子爆弾 という言 葉の代 わ りに新型爆弾 とい う表現 を用 いた。

さ らに大本営 は 「心得」 を発表 し,原 爆 は これ まで の防空 対策 の充実で防御

可能 で あ ると した。7日 付 「朝 日新聞』 は 「六 日七 時五 十分 頃B29二 機 は広

島市 に侵入 ……若干 の損 害を蒙 った模様 であ る」 と,大 阪発 のニ ュー スと し

て小 さ く掲 載 しだ ㌔ 国民 の認識 は,軍 艦 を沈 める ことが で きる爆 弾 とい う

程度 で あ った。 陸軍 は天 皇の裁断 が下 るまでは戦 争終結 への指 向を排除 し一

億玉 砕精神 を貫 くため,原 爆投下 の事実 も隠 し続 けた。長 崎 に原爆 が投下 さ

れた際 も同様 に,プ レス ・リリースで は 「被害 は比較 的僅少 な る見 込」佃 と

発 表 され た。10日 付 『長 崎新 聞』 は発表 を伝 え るのみで,被 害 の惨 状 を掲載

しなか った4㌔9月3日 付 の 日本政府 による 「原爆被 害報告書 」 は,放 射能

の影 響 に関 し,4人 の陸軍医 グルー プによる報 告 「広 島大惨状 の報 告(放 射

能 に関 して)」 を採 用 し,「爆発直 後人体 に危 害を 引き起 こす ほどの放射線量

は測定 できなか った」 と報 告 してい るd6)。戦 争を続 け るための情報統 制が行

われ,被 害 や被 爆者 の存 在が否定 された。 その一方 で,被 爆者調査 は熱心 に

行 われた。

8月7日,大 本営 は広 島調査班 を編成 し,大 本営調査 団31名 が広 島 に派遣

され調査 を開始 した。調 査団 は原 爆開発 の二 号作戦 に従事 して いた者 よ り構

成 された。理化 学研究所 主任 の仁 科芳雄博士 は43年 に ウラン原爆 が作れ る可

日米における被爆情報戦略103

能性 を軍 に提示 し,陸 軍 か らの委託 で研究室 を挙 げて原爆 開発 を行 って いた。

原爆 が完成 すれば戦地 で使用す る予定で あ ったが,結 局は研究 の域 を 出ず製

造 に至 らなか った。 この調査 の 目的は,新 兵 器の効果 と被害 の実情 把握,新

兵器 に対す る防御,そ の後の作戦 の樹立 な どであ った。人 的物 的被 害 を救援

す るた めではな く,戦 争 を継続す るため の調査 で あ った。 陸軍 の要 請 によ る

京都 帝国大学,陸 軍省広 島災害調査 班,放 射線 調査班,お よび海軍 の要請 に

よ る大阪帝 国大 学や海軍 広島調査 団が広 島で調査 を行 った。調査 団の 目的 は

戦 時調査や兵器 効果調査 な どの軍事 的な ものであ った。 日本政府 も技術院調

査 団を派遣 し調 査 を行 った。長崎 には,長 崎地 区憲兵 隊,九 州帝 国大学,呉

鎮守 府調査 団が調査 に入 った。 中央 や各地 か ら派遣 された陸海軍,政 府,大

学 の調査 団は,東 京大空 襲な どの戦 災で は見 られ ないほ ど多数 に上 り,被 爆

に関す る詳細情 報が政府 に集積 されて い った。

大 本営調査 団 は10日,陸 海軍合 同会議 にて正 式 に 「原 子爆弾 ナ リ ト認 ム」

との判定 を下 し,日 本政府 に報告 した4η。調 査団 は原 爆 の放射 線被 害の特徴

を的確 に認識 して いた。 陸海軍 と日本政府 は原爆報告 を受 けたその 日の うち

に,原 爆被害調 査 を続行 す るこ とを決定 した。 調査 団は13日 まで放 射線障害

の調 査 を続行 した。調査 団か らの報 告 によ って集 ま った情 報 を元 に,日 本政

府 は原爆情報戦 を開始 した。8月10日,日 本政 府 はスイス政府 を通 じて米 国

政府 に対 し,原 爆使用 は,不 必要 な苦痛 を与 え る兵器,投 射物 その他の物質

を使 用す る ことを禁 じた 「ハ ーグ会議の陸戦 の法規慣例」 に関 す る第22条 お

よび第23条 に違 反 してい ると して,以 下 のよ うに抗議 した。

米国が今 回使用 した る本件爆 弾は,そ の性能 の無差 別性か つ残 虐性 にお

いて,従 来 かか る性能 を有す るが故 に使用 を禁止せ られ をる毒 ガス その他

の兵器 を遥 か に凌駕 しをれ り。 ……今 や新 奇 に して,か つ従来 のいか な る

兵 器,投 射物 に も比 し得 ざる無 差別性残虐 性を有す る本件爆弾 を使用せ る

は人類文化 にた いす る新た なる罪悪な り。帝 国政府 は ここに 自らの名 にお

いて,且 つ叉 全人類及 び文 明の名 にお いて米国政府 を糾 弾す る と共 に即 時

かか る非 人道 的兵器 の使用 を放棄 すべ き ことを厳重 に要求す48)。

104

日本政府 が米国 によ る原爆投下 に抗議 したのは,後 に も先 に もこの1回 の

みであ る。55年 には見解 を一変 し,原 爆投下 は国際法違反 の問題 にな らない

と主 張 した。45年 に語 った倫理 を 自身の足 で踏み に じる行 為で あ った。 日本

政府 は95年 に行 われ た核 兵器 を裁 く国際法廷 にお いて も,核 兵器 を持た ない

国 々が核兵器 の違法性 を主張す る中,国 際法違 反 の立場 に は立 たず曖昧 な態

度 を取 った。 その後 も,日 本政府 は核抑止力 を認 め核兵 器の存在 を追認 し,

核 問題 につ いて毅然 とした態度 を取 って いない。

7日 本政府 によ る被爆 情報 の政 治利用

8月18日,天 皇 は陸軍 に復員命 令を 出 し,兵 士 は軍 隊の活動 をすべて終 え

る ことにな った。本来 であれ ば,陸 軍の原爆 被害調査 も中止 されたはずで あ

るが,陸 軍 が12日 に派遣 した陸軍 省広島災害調 査班 は18日 まで広 島で調査 を

続 けた。 そ して急性原爆 症の第2期 に入 り被 爆者 の病状 が変化 した ことに伴

い,陸 軍 は調査 団 を再編 し原爆調 査体制 をさ らに強化 した。 日本 はポ ツダム

宣言 を受 け入 れた ため,米 国 の占領軍が 日本 に進駐す ることはわか って いた。

通常,敗 戦 国が戦勝 国の 占領下 において,戦 勝国が使用 した新兵器 につ いて

調査 す るとい う軍事行動 を継続す ることはで きな い。 ま してや米 国政府 は綿

密 な情報戦 略を立て,原 爆の被害報 道を徹底 して排除 して いた。 日本軍が原

爆被 害調査 を行 お う とすれば,米 占領軍 が阻止 す るはずで ある。 しか しなぜ

陸軍 省 は原爆被 害調査 を続 けたのか。 日本政 府は 問題視 しなか ったのか。 そ

こには,原 爆被 害情報 を政治利用 し,占 領軍 と協力 して調 査 を続 け る意図 が

あ った と考 え られ る49)。バ ー チェ ッ トの広 島取材 を準 備 した同盟通 信社 は,

46年 に連合通信 社 と 日本 電報通信 社通信部 門が合併 して設 立 した国策通信社

であ ったが,戦 時 中 もロックフ ェラーや モルガ ン財 閥 と通 じて いた。被害調

査体 制 は,陸 軍軍 医学校 が都築政男JU)の東 京帝国大学 と仁科 の理化 研究所 に

調査 を委嘱 した形で組 まれた。25日,東 京帝 国大学医学部 は教授会 を開 き,

次 の ような報告 が為 された。

報告一,広 島及 び長 崎 に於 け る原子爆弾 被害 につ き各方面 よ り調査研究

日米における被爆情報戦略105

を行 うこ とを亀 山厚生 次官 よ り依 頼 し来 る。 委員会 を至 急作 るべ きこと。

費 用 は防空委 託研究費(厚 生省)よ り支弁 の予定。調査 すべ き問題並 に研

究 調査 に就 て は部長 よ り厚生 当局 に紹介す べ きに付 き申 出 られた こと。一,

戦 時 中に行 はれた る研 究 は徒 らに隠匿す る ことな く連合 軍側 に示 す こと と

して は如何 との意見総 長 よ り申出あ りたる 旨報告5')。

被 害調査費 用を戦 時中の防空委 託研究費 か ら支 出す るというこ とは,戦 時

中の研究 を引き継 ぐことを意味す る。 陸軍 の永井 と海軍 の都築 との話 し合 い

を経 て,厚 生省 か ら東京 帝国大学 へ原爆被害調 査が依頼 され たこ と,東 京帝

国大 学総長 が戦 時 中の調 査結果 を連合国 に提 示す るこ とを提案 してい るこ と

は,日 本軍 の中枢 と連合 軍が密接 な関係 にあ った こ とを示 して い ると言え る。

米 占領軍 の本土 進駐 を待 って,日 本側の被害調 査が 開始 され た。 陸軍省広 島

災害調査 班が行 った調 査 は,「 陸軍省 広 島災害調査 班報告 」 として 陸軍 省 医

務局 に提 出 されて いたが,9月1日 か らは 「陸軍省広 島災害再調査 班報告」

と して提 出 された。 米 占領軍 の原爆 の効 果の調 査 に,「 再 調査」 と位 置づ け

て全 面的 に協力 す る ことによ り,日 本政府 は敵 軍 の残虐行 為 を徹底 的 に調 べ

る とい う軍事行 動 を継続 す ると ともに,原 爆被 害情報 を利 用す る とい う政策

を遂 行 した。

大 日本 帝 国の降伏 文書調 印式 が行 われ た2日 の夕方,鈴 木公 使 はGHQの

マー シ ャル副参 謀長 か ら呼 び出され,翌 三 日に告示す る予定 との 「三布告」

を提 示 され た。 布告第一 号 は 「行政,司 法及 立法 の三権 を含む 日本 帝国政府

の一 切の権能 は爾今本官 の権 限下 に行使せ らるる もの とす」 と宣言 し,第 二

号 は,SCAP命 令 への違反者 を 占領軍 裁判所 死刑以下 の刑 に処 す る ことを,

第三 号 は,占 領 軍の発行 す るB軍 票を 「日本 銀行 ノ発行 スル法定通 貨」 と同

等 の 「日本法貨 」 とす ることを命 じた。軍票(軍 用手票)と は擬似 紙幣で あ

り,そ の国 の貨幣 を通用 させ な くす る手段 であ る。

2日 夜,重 光 葵外務大 臣が マ ッカーサ ー司令 部 に赴 き,翌 日,日 本政府 の

代 表者が 司令部 に,8月13日 付 と15日 付 の原 爆被害調査報 告書2本 を提 出 し

たS?)。被害 国が加害 国 に被爆 情報 を与 え る意 味 は何 か。被爆者 情報 は,米 国

に とって史上最 大の人体 実験結果 であ り,以 後の原子力 開発 に生 かすべ き重

106

要 デー タで あ った。米 国 は原爆投 下直後 の調査 を行 うことがで きなか った。

マ ッカーサーは,日 本政 府が軍事機 密を敵 国 に差 し出す意 味 を理解 し報告書

を受 け取 った。 その後,マ ッカーサー は 「要 スルニ政府及 国民 ノ出方一 ツニ

テ之 ノ問題ハ如 何 トモナル」 と語 り,日 本側 の協力姿勢 を認 め,天 皇 および

日本 政府 を通 して統治 し,軍 票 を使用 しない ことを容認 した。原爆 の効果 を

知 りた い米 占領 軍 と,政 治的取 引を した い 日本政府 の利 害が一致 したが ゆえ

であ った。 陸軍 省の原爆 被爆調査報 告書 は,政 治的駆 け引 きのカー ドと して

利 用 され た。 日本の軍 と政府 によ る被害調査 は,被 災地 を救援 し被 爆者 を救

済 す るた めではな く,被 害情報 を政 治的 に利 用す るこ とが 目的 であ った と言

え る。13日 に重 光 はス ウェー デ ン,ス イス,ポ ル トガルの 日本公使 館 に対 し,

「外相 は,日 本 が 「わ れわ れの宣伝 のなか で原子爆 弾 問題 を利 用す るあ らゆ

る努 力 をす べきで ある」 と考 えていた」 との公電 を打 って いる。 日本政府 は

原爆 被害利用 という政策 を立 てていた。

その後,日 本 政府 は原 爆被害調 査を一気 に拡大 した。 ファー レルが広 島か

ら東京 に戻 った14日,文 部 省の管轄 下 に,「 原子爆 弾災害 調査 研究特 別委員

会」 を設置 す ることを決 定 した。調 査の 中心 は原爆 の人体 へ の医学 的効果 の

調査 で あ り,被 爆者へ の救護 や治 療で はなか った。設立 に は,日 本陸海軍省,

内閣情報局,内 務省,厚 生省,文 部省,農 林 省,司 法省,運 輸省 な どの官庁

が協 力 し,9つ の分科会 か らなる大 日本帝 国の総力 をあげ た国家 プ ロジ ェク

トで あ った。分 科会 の総予 算 は300万 円で あ り,科 学研 究費 として配 分 され

た53)。医学 科会 は,大 学教 員,海 陸軍人,厚 生 省職員 な どの33名 の委 員,150

名 の研 究員,1,500名 の助手 か ら成 り5N,こ れ は 当時 日本 の軍 事 医学 を中核

とす る医学 界の総力 で あ った と言 え る。GHQは 原爆 被害 に関 す る研 究を禁

止 したが,こ の プロ ジェク トを例 外的 に容認 した。調査 は45年 の暮 れ まで熱

心 に行 われ,研 究者 た ちは180本 以上 の調査報 告書 を作成 した。 報告 書の質

は極 めて高 か った と言 わ れ るJJ)。GHQか ら,論 文1本 につ き英文1部,和

文5部 を提 出す るよ う命 じ られていた。英文 の報告書 には,被 爆者 の氏名 を

始 め とす る個人 情報 が隠 され る ことな く表記 され た。提 出 した報告 書が米 国

に利 用 され ることはわか って いたが,全 員 が忠実 にこのルール を守 り,反 乱

行為 を起 こ した者 はいなか った。吉 田茂首相 に被爆者 の救 済 を訴 えた者 もい

日米における被爆情報戦略107

なか った。

原 爆被害調査 において,日 本側 は当初 よ り米 占領軍 とス ムーズに協調 し,

今 日に至 って も協力 して被爆者調査 を続 け,原 子力 開発の分野 で情 報 と利益

を共 有 し合 って いる。戦 後,戦 争 責任を 問われ る立場 にあ って原爆 被害調査

に関与 した者 の多 くは,自 決 や責 任追及 を免 れ,行 政,大 学,原 子力機関 な

どの重責 に就 き,安 定 した生活 を送 るこ とがで きた。

おわ りに

米 国政府 の被 爆情報戦 略 は,人 権 を侵 した情 報収集,情 報 の機密 化,正 当

化 の公式発表,都 合 の悪 い情報 の否定,報 道 規制,都 合 の良 い解釈 の創作,

宣伝 による刷 り込み とい うパ ター ンを取 った。 このパ ター ンはその後の原子

力情 報戦略 に も使用 されて いる。 日本政府 はスム ーズに米 国 と協調 し,被 爆

者情 報の収集 に協力 して いった。 日本政府 の被爆情報政策 は,被 爆 被害 の隠

蔽 と利用 および対米協力 で ある。

米 国政府 は,被 爆者 の存在 が社 会的 に明 らか になる ことを恐 れてい る。原

爆投 下23年 後 の1968年 に米国政府 は初め ての原爆 白書 を国連 に提 出 し,残 留

放射 線 によ る被 害 を否定 し,生 存被 爆者 に病 人は いない と報告 した。米国政

府 が苦 しむ被爆 者の存在 を社会 か ら抹消す る戦 略 を採 り続 けて い るの は,原

爆 の残虐性や非人道性を隠すためであ ると思 われる。原爆が今 もなお生 き残 っ

た被 爆者 を苦 しめ殺 し続 けて いる とい う事実 は,国 際法 に違反 す る兵器で あ

る ことを,端 的 に証 明す るか らであ る。 これ ほど長期 的な被害 を与 え,現 在

も解 決 し得 ない問題 を残 す原爆 や核兵器,そ れ に準ず る放射線 を利 用 した兵

器 は,極 めて残 忍か つ非 人道 的な兵 器 と言 え る。 被爆 の実 相が世 界に広 まれ

ば,米 国 は国際法で禁止 され てい る残虐 な兵 器を使用 した罪や責任 を,米 国

内また国際社 会で厳 しく問わ れるはずで ある。 放射線被 害の実態 を知 りなが

ら,罪 の ない人 々を ヒバ クさせ,一 生 にわた る障害 を負わせて きた ことは,

人類 最大 の罪 で ある。世 論 はそのよ うな残虐 な兵器 を米 国が保有 す ることを

許 さな いであろ う。 そ うなれ ば,原 子力 開発 による利益 も手放 さ ざるを得 な

いQ

108

日本政府 は戦 後,一 貫 して米 国の戦 略 に協 力 して きた。 残留放射 線の影響

はほ とん どない との見解 を堅持 し,残 留放射線 による被害 者 の救済 を避 けて

きた。

日米の情報戦 略 によ り,被 爆者 の苦 しみの実情 は 日本 国 内に も世 界 に も伝

え られず,人 々の ヒバ クに関す る正確 な理解 が妨 げ られて きた。 その後 の核

開発や原発運転 において も同様 に,ヒ バ ク シャの存在 や ヒバ クの恐 ろ しさは

隠 されて きた。 結果 として,米 国では原爆投 下や核兵器 を擁護す る世論が形

成 され,日 本 で は被爆者 を差別 した りヒバ クに無関心 であ った りす る態度 が

形成 され,世 界 中に核兵 器 と原発 が増え,ヒ バ クシ ャが増 え続 けてい る。

米 国の被爆情 報戦 略は,そ の後 の核兵器軍 拡競 争 を招 き,被 爆者 に対す る

重大 な人権侵害 のみ な らず,世 界 に ヒバ ク シャをつ くり続 けて い る点で,人

類 的犯罪 と言 え る。 日本 政府 の被 爆者 行政 は,真 実 を国民 か ら隠 し,被 爆者

のプ ライバ シーを侵害 して被爆者情 報を米 国 に提供 し,法 治国家 として 当然

行 うべ き被爆者 への補償 を行 っていな い点 で,自 国民 への裏切 りであ ると言

え る。

〉 ) 主 〈

) ) ) ) ) ) ) 2 り0 冶4 5 6 7 00

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ク フ ェ ラ ー,モ ル ガ ン,イ ギ リ ス の 金 融 界 の 面 々 と し て い た 。 そ こ で ス テ ィ ム ソ ン

は,原 爆(ウ ラ ン爆 弾 と プ ル トニ ウ ム 爆 弾)が 完 成 す る ま で 戦 争 を 延 ば さ な け れ ば

な ら な か っ たQ」 と 指 摘 し て い るQ

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都築 は東 京 帝 国 大学 医 学 部 教授 で あ り同 大 学 医学 部 付 属病 院の 外 科 医 で あ る と と も

に,海 軍 軍 医 中将 で もあ っ た。 都 築 博士 は米 国 で の 在 外研 究 中 に,ウ サ ギ へ のX線

照射 実 験 を繰 り返 して研 究 を行 って い た。 生 きて い る ウサ ギ にX線 を3時 間 照 射 す

る と死 亡,2時 間照 射 す る と2週 間 後 に9割 死 亡 す る とい う結 果 を ア メ リカ ・レ ン

トゲ ン学 会 で発 表 し,米 国 内で も注 目され て い た人 物 で あ る。

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